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能登の旬な情報をお届けします。


by noto-tourism
真脇遺跡からは、その用途がはっきりしない土製品や石製品が多く出土しています。

土製円盤といわれるものは、土器片を数センチの円盤状に整形したもので、子供達のメンコのような遊び道具であったともいわれています。

御物石器は、その形自体が何に由来するのかさえわからないものです。形が風変わりなだけではなく、名称の由来も変わっています。

能都町の隣町である穴水町の法栄寺というお寺から本願寺へ納められた異形石器が、さらに明治天皇に献上され、皇室御物となったことからその名がついたのです。
# by noto-tourism | 2004-11-26 13:40 | 能登の観光情報(能都町)
縄文土器の素材は粘土です。粘土ですから失敗してもやり直しがききます。また柔軟な素材ですから、かなり自由な形態のものを作ることも可能なはずです。

しかし実際には形や模様はそれほどバラエティに富んではいません。

不思議なことですが、縄文時代の日本列島には地域ごとに同じ土器を作る縄張りのようなものがあったのです。これを土器圏といい2~3県から数県にまたがって構成されていました。

真脇遺跡から出土した土器は北陸の土器圏に入り、石川県の北加賀以北と富山県の呉西地方を中心部として、ときには南加賀から新潟県南西部までをも含む圏内に入っていました。
# by noto-tourism | 2004-11-26 13:33 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡からはおびただしい数のイルカの骨が発掘されています。遺跡が存続していた4000年間の全期にわたって真脇ではイルカ漁が盛んに行なわれていたのです。

真脇の縄文人にとってイルカは、神の恵みのような存在でした。何しろ1頭のイルカの77%が可食部であり、それ以外にも油などがとれたのですから。

そして出土した土器の中にはイルカの油だけが付着したものがあり、イルカ油の貯蔵についても縄文人の知恵がはたらいていたことを証明しています。

出土したイルカ骨の半数以上がカマイルカという種類のものでした。体重は平均で100kgを越します。つまり1頭につき、1ポンドのステーキが170人分とれることになり、一度の漁で平均5頭を捕ったとすると、村の消費量をはるかに越えるものとなっていました。

縄文の時代というのは、食料を求めて移動する生活が普通です。しかし真脇の人たちはイルカという神の恵みによって永く定住できる礎をもてたのです。
# by noto-tourism | 2004-11-26 13:27 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡からは13点・数人分の人骨が出土しています。

6000年前のことですから、その人たちはいわゆる“新人”の部類に入り、現代人と変わらないホモサピエンス、つまり“賢い人”なのです。

出土した縄文時代の青年の頭蓋骨から、その容姿を推察することができます。まず眉間が著しく膨らんでいます。鼻根部も立体的で、これは現代の本州の人とは違い、アイヌや沖縄の人たちのような掘りの深い顔立ちであったということを物語っています。

また歯にも特徴があり、縄文人は現代人のように上の歯が下の歯の前方にくるのではなく、毛抜きの刃のように上下が重なり合っています。

さらに顔の幅が広いのも特徴です。
# by noto-tourism | 2004-11-26 13:19 | 能登の観光情報(能都町)
豊かな自然に囲まれた真脇とはいえ、厳しい自然にも相対されなければならないこともあります。縄文の人たちもまた、災いや病気から身を守る為に呪いや祭りを行なったり、魔除けとなるものを身に付けたりしたことでしょう。

真脇遺跡からは、土製の仮面が出土しています。土製仮面の出土は極めて稀なことで、縄文後・晩期の東日本に片寄っています。

真脇から出土した土製仮面は、右顔面と顎の部分が欠けており、目が吊り上げリ、鼻と眉が高く、顔面には刺青または魔除けの化粧と思われる模様が施されています。

復元すると大きな能面ぐらいのサイズになります。
# by noto-tourism | 2004-11-26 13:12 | 能登の観光情報(能都町)