能登の旬な情報をお届けします。


by noto-tourism

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能登の田植え

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 ここは波並地区 西の上遺跡一帯にある田園です。一人の老人が見かけぬ物を押しているのを見かけました。老人に尋ねると「イブリ」と答えてくれました。         
 想像するに、田おこししたあと、水を引き入れその後この「イブリ」なるもので田を均す道具のようです。正確な名称はどうも「柄振 えぶり」だと思われます。 
  ほとんどこの辺一体は、田植えが終わっていました。今年は、春の訪れが早く暖かい日が続いたせいか例年より早く終わったようです。

 この田んぼの広さだと、こうして2時間ほど押して歩くそうです。大変な重労働です。昭和30年代、40年代前半には、隣近所のおばさん達が集まって、お互いの田んぼを変わりばんこに田植えをしていたような気がします。                    
 その時の昼ご飯が、朴葉飯や赤飯だった記憶があります。               

 この辺の農家は、半農半漁で生計を立てており、この老人も自分の定置網を持っているそうです。

 ここの風景を定期的に取材して行こうと考えております。もしかすればここの田んぼには、未だにメダカがいると思われますし、6月になれば蛍の乱舞をみることができます。

 うまく映像におさめることができたらご紹介します。      
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by noto-tourism | 2004-05-04 14:52 | 能登の旬な情報

どこかで見た景色

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この景色、どこかで見たことありませんか?

日曜夕方の某人気アニメのオープニングで奥能登の紹介があったときに登場した景色です。
タイミングがよければ“のと鉄道”の車両が通るところを撮影したかったんですが、なんせ1時間に1本ほど・・・、今回は断念しました。

しかし残念なことに2005年3月31日付でのと鉄道 穴水‐蛸島間が廃線となることに決まったようです。
確かに地元の私たちもあまり利用しませんし、移動は自家用車で、ということが多くなりましたが。

さて、このすばらしい景色、実は有名なはずなのに観光マップなどにはまず載ってません。
能都町の波並地区というところなんですが、このポイントへはなかなか辿り着けないかと思います。もし興味があり、ぜひ行ってみたいという方はのとツーリズムまでお問い合わせください。

(話は変わりますが観光マップに載っていない名所といえば“ゴジラ岩”なんてのもありますね)
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by noto-tourism | 2004-05-04 14:42 | 能登の観光情報(能都町)

姫の弁天島の伝説

今日はあいにくの天気で、お出かけするのも億劫ですね(;´д`)

さて、今日は能都町真脇・姫地区に伝わる昔話の紹介です。
まずは下の写真を見てください。

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鏡のように静かな入り江、そこに浮かぶ小さな島「弁天島」です。
少し長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。



姫の弁天島の伝説(百合若丸とミドリ丸)



昔々、京の都に百合若という名のお公卿さんがいました。
十七歳で右大臣になって、まだ間もないころのお話しです。

百合若はそんな歳で右大臣になれたので、他の官人達は妬みはじめました。

そしてありもしないことを帝に告げ口したので、帝は本当のことと思い込まれ、百合若は陸奥の地へ流されることになりました。

百合若は、流されることは仕方ないが、いつも可愛がっていた鷹のミドリ丸と別れることは何よりも辛いことで、たいへん気がかりでした。

百合若は京の都をあとにして船で北に向かい辛い旅を続けました。

しかし、ちょうど能登の沖に差し掛かったとき、大嵐にあい船は木の葉のように振り回されました。

それでも運良く大向浜に打ち上げられたのですが、乗ってきた船は役に立たず代わりの船もありません。

それで仕方なく、しばらくは真脇の峠の宮にいることにしました。

(峠の宮は真脇や姫地区の発祥の地で、その頃の人たちは峠の宮付近で生活していました。)


それは沖の白い帆がはっきり見える春の暖かい日でした。

『京の大臣が、今日も向浜を歩いてござっしゃるわい。陸奥へ流される途中、この高倉の浜辺に流れ着いてから早くも三度目の春じゃのう。高い身分のお方様じゃそうだが…。大臣様の評判の良いのを妬んだ悪い奴らに、ありもしない罪をきせられたそうな。』

田を耕す手を休めながら村人たちは話し合っています。

流し人として京の都を追われるとき、自分が一番可愛がっていた鷹のミドリ丸を方に止まらせていつまでも見送っていた年老いたお母さんのことや、京の御所のことなどを思い浮かべて百合若はとめどもなくため息をもらしました。

『かわいそうやのう。』『都が恋しかろうに。』

そんな村人達の気持ちが天に届いたのか、ちょうどその頃京の都では百合若大臣の疑いが晴れて、帝からお許しの使いがお母さんのもとに参りました。

たいへん喜んだお母さんは、一日も早く百合若にこのことを伝えようと考えました。

そしてその喜びを書面にしたため、桐の文箱に収め、日ごろ百合若が可愛がっていたミドリ丸に赤い紐でしっかりと結びつけました。

お母さんの心の中の願いが利口な鷹に通じたのか、目を強く輝かせ肩をピンと張ったかと思うと、バタバタと強い風を巻き起こし大空高く舞い上がりました。

しかし途中で雨か嵐にでもあったのか、このミドリ丸より先に陸路からの使者が百合若のもとに着いたのでした。

知らせを聞きたいへん喜んだ百合若は、ミドリ丸のことなど露知らずさっそく京の都を目指して旅立ったのです。

何日も何日も歩き続けた百合若はすっかり疲れ果ててしまいましたが、ようやく懐かしいお母さんのもとへ辿り着くことができました。

数年ぶりで百合若に再会できたお母さんの目からは熱い涙がとめどなく流れるのでした。

お母さんは鷹のミドリ丸のことを話し始めました。

目を閉じて静かに聞いていた百合若は、ミドリ丸を探しに再び能登の高倉の里へ良く決心をしました。

そして間もなく愛するミドリ丸を求めて再び長い旅路につきました。

いくつもの野を越え山を越え、それはそれは苦しい旅でしたが、それでも百合若は懐かしい高倉の里を目指して急ぎに急ぎました。

能登はやさしや 土までも

深い情けの ふるさとよ

一度いらしけ 高倉へ

踊る銀鱗 潮路の果てに

あやに織りなす 波が呼ぶ

夕日が沈む 高倉の里

疲れ果てた一人の行者姿の旅人が高倉の里に現れました。
峠の宮のお寺から暮れの鐘が静かに響いてきます。
塩浜で働いていた一人の里人が手を休めて夕日を拝んでいます。

そこへ、足を止めた行者姿の旅人が塩浜の人に尋ねました。

『私は都に住んでいる百合若と申す者です。実は文箱をつけた鷹を探しているのです。心当たりはないでしょうか。』と

そうすると里の人は答えました。
『その日もやはり今日のように夕日が赤々と海を染めていました。私が西の山に沈もうとする夕日を拝んでいると、一羽の見慣れない鷹が向こうの天狗山のてっぺんを苦しそうに飛んでいるのです。ニ、三回廻ったかと思うと、今度はあの向こうに見える弁天島へよろめきながら飛び去っていきました。』

『その晩は、何となく胸騒ぎがしてよく眠れませんでしたので、夜の明けるのを待って島に行ってみました。そうすると波打ち際の清水が湧いている池に、半分身体をつけたまま冷たくなっている鷹を見つけました。その鷹は確かに赤い紐のついた文箱をつけておりました。あまりに可哀想なので、あの向浜の松林に埋めてやりました。』

その話を聞いて、すぐに百合若は松林へ行きました。
そこには一つの小さな墓印ができておりました。
可哀相に思った百合若は、その墓を上日寺に移し村人達にそのお守りを頼みました。

それから後、毎年十月二十八日にお寺で鷹供養が営まれるようになり、今でもその供養が続いています。



と、まぁこんな話なんですが、皆さんいかがでしたか?
なにげない、どこにでもありそうな島にもこんな伝説が残ってるのかと思うと感慨深いですよね。
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by noto-tourism | 2004-05-04 14:05 | 能登の観光情報(能都町)
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 昭和63年10月30日に完成し現在の場所には、平成2年11月8日に設置されました。高さが4.5M、重さが5t(どうやって計った)あるそうです。250名、延べ人数では1,700名の汗と涙の結晶がこの土器には込もっています。これだけ大きな土器を作るには、すごく大変だったと聞いています。途中で何度も作り直しをしています。
(重量で形が崩れたり、乾燥でひび割れたり)何度も挫折しかかったそうです。

 有名な陶芸家の指導を受けながら、当時の青年達が一心不乱となって作りました。
土器を作製した場所から現在の場所への移動も大変で、この当時のエピソードをまとめたら、一冊の本が出版できそうです。

 土器の下の方に名前が刻まれていますが、この土器の作製に係わった人たちの名前です。これを作ろうと言った言い出しっぺは、一体誰なんでしょうか?
多分、Kさん、Sさん、かなと思いますが、この時の熱い気持ちを今でも持ち続けておられると思います。
 
 現在この土器は、『時の広場』というところにあります。そこの説明文には、“過去から現在、未来へとはばたく願いをこめて”という一文が刻まれています。

 ちなみにこのミニチュアが真脇ポーレポーレと真脇遺跡公園にある「草屋根の館」に展示されていますので興味のある方は、是非そちらもご覧下さい。
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by noto-tourism | 2004-05-03 17:14 | 能登の観光情報(能都町)

東京のLady's

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 千畳敷の休憩所があるのにわざわざ柵を乗り越えて食事をされていた東京のLadyです。(たぶん間違っていたらごめんなさい)このお二人は、長島公園でもお見かけしました。わざわざ能登まで来てくれるなんて本当にありがとうございます。       
 私が、学生時代は第2次能登ブームで一般民家が民宿になることが多く、民宿に泊まれない方を、私の家で宿泊を受けたことも何回もありました。あの頃のような一過性ではなく、ゆっくりと時間をかけもしくは、本当に見たい物、感じたい物を探してから能登へ来て欲しいと願っています。
2人のLadyさんまた来て下さいね。
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by noto-tourism | 2004-05-02 18:08

千畳敷

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 真脇遺跡公園へ行く途中にあり干潮になると出現する所謂千畳敷です。畳が千枚敷けると言うところからついたそうです。この日は、天候にも恵まれ次から次にたくさんの人が景色に見入っていました。先端の方では、3組の釣り人が釣りを楽しんでおり、たぶん今が乗っ込み時期の黒鯛を狙っていたようです。                
 所々四角くくり抜かれたように見えるのは、家の基礎に使われたとのことです。
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by noto-tourism | 2004-05-02 17:54 | 能登の観光情報(能都町)

加夢加夢ランド Ⅱ

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 全長70mのローラー滑台。日本海側では未だに最長の滑台のはず(?)です。
70mもあるのでちょっとおしりがむず痒くなります。でも日本海を眺めながらの滑降は気持ちいいものです。子供達が何回も滑っていて親御さんの方が疲れていました。
 この公園では、栗、ブナ、ナラなど秋になると落葉する広葉樹が主に植栽されており公園全体が縄文をイメージしています。まだまだ知らない所が真脇遺跡公園にはたくさんあります。本当の時間を探して見ませんか?
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by noto-tourism | 2004-05-02 17:41 | 能登の観光情報(能都町)

加夢加夢ランド Ⅰ

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 真脇遺跡体験館の近くにある加夢加夢(カムカム)ランドの光景です。
平成6年に完成し小さな子供達向けの公園となっています。園内には、既製の遊具を設置せず、オリジナリティのあるそして五感で楽しめるようになっています。
上の写真は、親子でじゃんけんをしながら綱渡りを楽しんでいるところです。
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by noto-tourism | 2004-05-02 17:16 | 能登の観光情報(能都町)
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 ↑ 名人インストラクターによる竹トンボづくりです。小刀を使っての作製ですが、興味を持って熱心に作っていました。私たちの小さい頃は、ポケットによくナイフを持って、山へ行って遊んだものでした。小学校5年生くらいの時に学校で危険だと言うことで没収されるようになりましたが、それから日本人はだんだん不器用になっていったような気がします。
 このインストラクターの作った竹トンボは、すごく飛び体験館の屋根にひっかっかってしまいました。
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by noto-tourism | 2004-05-02 17:03 | 能登の観光情報(能都町)

真脇遺跡体験村パートⅠ

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 5月1日にオープンした体験館の紹介です。↑はアクセサリーづくりの光景です。
作製時間は、小学生でも1時間はかかりません。
体験館の前には4000年の歴史、真脇にしか出土されていない
貴重な物が数多く展示されている真脇縄文館があります。
 ここの見学とあわせ滞在時間に応じた体験メニューが用意されています。

 メニュー   料 金    時 間   メニュー  料 金   時 間 
アクセサリー 100円   1時間   レリーフ   100円  1.5時間
コマづくり   100円    2時間   竹とんぼ   100円  2時間
土器づくり   500円   2時間
 
 5月8日には、田植え体験をこの場所でおこなうそうです。
         詳しくは 0768-62-4800  真脇遺跡縄文館まで
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by noto-tourism | 2004-05-02 16:50 | 能登の観光情報(能都町)