能登の旬な情報をお届けします。


by noto-tourism

カテゴリ:能登の観光情報(能都町)( 59 )

カモメの乱舞

 先日おこなわれた能登冬の食文化グリーン・ツーリズムでのイカ開き体験場所で、幸い天候も良かったので海岸で実施したのですが、イカを狙ってカモメが多数集まってきました。
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 風に煽られ、群れなす風景は参加された方も初めて見ると言うことで喜んでおられました。
グリーン・ツーリズムですので、自然条件でかなり左右されることが多くこういう風景も次回必ずしもあるとは言えず、また逆に違った素晴らしい物に出会えるかも知れません。

 普通の観光旅行とは違った あなただけのグリーン・ツーリズム皆さんもいかがですか?
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by noto-tourism | 2005-02-02 18:19 | 能登の観光情報(能都町)

真脇遺跡公園

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 縄文真脇温泉のある遺跡公園の風景です。公園から見える真脇湾と雪景色そしてちょっと幻想的な北陸の雪空。哀愁とロマンが感じられるような風景です。

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 縄文真脇温泉ピロティーにある雪吊りです。縄の数がおよそ50本竹垣の裏側にある露天風呂側にもおよそ50本吊してあります。これだけの雪吊りは、兼六園にもあるかどうか。
薄く雪化粧した雪吊りは、情緒があってなかなかいいものです。

 雪の時期ももうあとわずか、一度この風景を楽しみに来ませんか?
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by noto-tourism | 2005-01-24 16:13 | 能登の観光情報(能都町)

真脇遺跡公園の土器照明

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宇出津商店街のイルミネーションは微妙な写真になってしまいましたが、こっちはなんとかブレずに撮れました。

能都町・真脇遺跡公園のイルミネーションは先日写真が掲載されていましたが、こちらの土器型の照明は年間を通して楽しむことができます。

昼間見ると普通の土器モニュメント、夜は照明になるのですが、土器の模様から光が漏れ、なんとも幻想的な雰囲気を楽しむことができます。
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by noto-tourism | 2004-12-18 18:29 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡は真脇の水田地帯の中で眠り続けていました。その永い眠りから覚めたのは、1982-83年に行なわれた発掘調査のときです。

約6000年前の縄文前期初めから、実に4000年間形成されていた集落跡が発見されたのです。発掘はごく一部だけでしたが、わずか1~4m掘るだけで多くの遺物が出土したのです。

真脇遺跡は大変稀な長期定住型遺跡であるとともに、遺物の多さ、遺存状態のよさなどから“縄文の宝庫”と呼ばれています。

そして全国有数の重要遺跡として評価を受け、1989年1月9日には国の史跡として、同年の6月21日には出土品のうち219点が国の重要文化財に指定されました。

しかし真脇遺跡はまだその全貌を明らかにしていません。いまだに発掘された区画の28倍にも及ぶ面積の遺跡が眠っており、今後の調査による全貌解明に多くの期待が高まっています。
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by noto-tourism | 2004-11-26 14:06 | 能登の観光情報(能都町)
縄文といえば土器ですが、真脇遺跡からは、その4000年に及ぶ存続期間が示すように莫大な量の土器が発掘されました。しかも時代に応じて変化していく形式の全てが出土したのです。

土器の発明は、縄文人たちの生活において画期的な出来事でした。それは煮炊きができるようになったということで、そのことによって縄文人の生存力は大幅にアップしたのです。

たとえばトチノミなどのアクの強いものは煮炊きをすることによってアクを抜くことが可能になり、美味しい食料資源に転化されたりしました。

またスープ状などに調理することで消化をよくしたり殺菌効果を生んだことも見逃せません。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:55 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡の晩期層(約2500年前)からは、環状に並べられた直径約1mの巨大な木柱が続々と出土しました。

これらの木柱がどれくらいの高さで、どのような上部構造を持つものかは全く分かりません。しかし確実に円形ないし方形プランを指し示すものがある点で、各々が何らかの構築物であったと考えられています。

また前期層(約5500年前)からは、トーテムポール状の彫刻柱、木製大皿、船のカイ、編物、縄などが人骨やイルカ骨と一緒に出土しています。

それらのなかで彫刻柱は長さ250cm、最大径45cmあり、根元から80cmくらいまでは良好な遺存状態となっていました。それより上の風化が激しいことから、この柱は地面に立てられていたものと考えられています。

しかし、それも何のために作られたものかはわかっていません。謎がいっぱいの真脇遺跡なのです。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:49 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡からは、その用途がはっきりしない土製品や石製品が多く出土しています。

土製円盤といわれるものは、土器片を数センチの円盤状に整形したもので、子供達のメンコのような遊び道具であったともいわれています。

御物石器は、その形自体が何に由来するのかさえわからないものです。形が風変わりなだけではなく、名称の由来も変わっています。

能都町の隣町である穴水町の法栄寺というお寺から本願寺へ納められた異形石器が、さらに明治天皇に献上され、皇室御物となったことからその名がついたのです。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:40 | 能登の観光情報(能都町)
縄文土器の素材は粘土です。粘土ですから失敗してもやり直しがききます。また柔軟な素材ですから、かなり自由な形態のものを作ることも可能なはずです。

しかし実際には形や模様はそれほどバラエティに富んではいません。

不思議なことですが、縄文時代の日本列島には地域ごとに同じ土器を作る縄張りのようなものがあったのです。これを土器圏といい2~3県から数県にまたがって構成されていました。

真脇遺跡から出土した土器は北陸の土器圏に入り、石川県の北加賀以北と富山県の呉西地方を中心部として、ときには南加賀から新潟県南西部までをも含む圏内に入っていました。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:33 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡からはおびただしい数のイルカの骨が発掘されています。遺跡が存続していた4000年間の全期にわたって真脇ではイルカ漁が盛んに行なわれていたのです。

真脇の縄文人にとってイルカは、神の恵みのような存在でした。何しろ1頭のイルカの77%が可食部であり、それ以外にも油などがとれたのですから。

そして出土した土器の中にはイルカの油だけが付着したものがあり、イルカ油の貯蔵についても縄文人の知恵がはたらいていたことを証明しています。

出土したイルカ骨の半数以上がカマイルカという種類のものでした。体重は平均で100kgを越します。つまり1頭につき、1ポンドのステーキが170人分とれることになり、一度の漁で平均5頭を捕ったとすると、村の消費量をはるかに越えるものとなっていました。

縄文の時代というのは、食料を求めて移動する生活が普通です。しかし真脇の人たちはイルカという神の恵みによって永く定住できる礎をもてたのです。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:27 | 能登の観光情報(能都町)
真脇遺跡からは13点・数人分の人骨が出土しています。

6000年前のことですから、その人たちはいわゆる“新人”の部類に入り、現代人と変わらないホモサピエンス、つまり“賢い人”なのです。

出土した縄文時代の青年の頭蓋骨から、その容姿を推察することができます。まず眉間が著しく膨らんでいます。鼻根部も立体的で、これは現代の本州の人とは違い、アイヌや沖縄の人たちのような掘りの深い顔立ちであったということを物語っています。

また歯にも特徴があり、縄文人は現代人のように上の歯が下の歯の前方にくるのではなく、毛抜きの刃のように上下が重なり合っています。

さらに顔の幅が広いのも特徴です。
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by noto-tourism | 2004-11-26 13:19 | 能登の観光情報(能都町)