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姫の弁天島の伝説

今日はあいにくの天気で、お出かけするのも億劫ですね(;´д`)

さて、今日は能都町真脇・姫地区に伝わる昔話の紹介です。
まずは下の写真を見てください。

[写真削除]

鏡のように静かな入り江、そこに浮かぶ小さな島「弁天島」です。
少し長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。



姫の弁天島の伝説(百合若丸とミドリ丸)



昔々、京の都に百合若という名のお公卿さんがいました。
十七歳で右大臣になって、まだ間もないころのお話しです。

百合若はそんな歳で右大臣になれたので、他の官人達は妬みはじめました。

そしてありもしないことを帝に告げ口したので、帝は本当のことと思い込まれ、百合若は陸奥の地へ流されることになりました。

百合若は、流されることは仕方ないが、いつも可愛がっていた鷹のミドリ丸と別れることは何よりも辛いことで、たいへん気がかりでした。

百合若は京の都をあとにして船で北に向かい辛い旅を続けました。

しかし、ちょうど能登の沖に差し掛かったとき、大嵐にあい船は木の葉のように振り回されました。

それでも運良く大向浜に打ち上げられたのですが、乗ってきた船は役に立たず代わりの船もありません。

それで仕方なく、しばらくは真脇の峠の宮にいることにしました。

(峠の宮は真脇や姫地区の発祥の地で、その頃の人たちは峠の宮付近で生活していました。)


それは沖の白い帆がはっきり見える春の暖かい日でした。

『京の大臣が、今日も向浜を歩いてござっしゃるわい。陸奥へ流される途中、この高倉の浜辺に流れ着いてから早くも三度目の春じゃのう。高い身分のお方様じゃそうだが…。大臣様の評判の良いのを妬んだ悪い奴らに、ありもしない罪をきせられたそうな。』

田を耕す手を休めながら村人たちは話し合っています。

流し人として京の都を追われるとき、自分が一番可愛がっていた鷹のミドリ丸を方に止まらせていつまでも見送っていた年老いたお母さんのことや、京の御所のことなどを思い浮かべて百合若はとめどもなくため息をもらしました。

『かわいそうやのう。』『都が恋しかろうに。』

そんな村人達の気持ちが天に届いたのか、ちょうどその頃京の都では百合若大臣の疑いが晴れて、帝からお許しの使いがお母さんのもとに参りました。

たいへん喜んだお母さんは、一日も早く百合若にこのことを伝えようと考えました。

そしてその喜びを書面にしたため、桐の文箱に収め、日ごろ百合若が可愛がっていたミドリ丸に赤い紐でしっかりと結びつけました。

お母さんの心の中の願いが利口な鷹に通じたのか、目を強く輝かせ肩をピンと張ったかと思うと、バタバタと強い風を巻き起こし大空高く舞い上がりました。

しかし途中で雨か嵐にでもあったのか、このミドリ丸より先に陸路からの使者が百合若のもとに着いたのでした。

知らせを聞きたいへん喜んだ百合若は、ミドリ丸のことなど露知らずさっそく京の都を目指して旅立ったのです。

何日も何日も歩き続けた百合若はすっかり疲れ果ててしまいましたが、ようやく懐かしいお母さんのもとへ辿り着くことができました。

数年ぶりで百合若に再会できたお母さんの目からは熱い涙がとめどなく流れるのでした。

お母さんは鷹のミドリ丸のことを話し始めました。

目を閉じて静かに聞いていた百合若は、ミドリ丸を探しに再び能登の高倉の里へ良く決心をしました。

そして間もなく愛するミドリ丸を求めて再び長い旅路につきました。

いくつもの野を越え山を越え、それはそれは苦しい旅でしたが、それでも百合若は懐かしい高倉の里を目指して急ぎに急ぎました。

能登はやさしや 土までも

深い情けの ふるさとよ

一度いらしけ 高倉へ

踊る銀鱗 潮路の果てに

あやに織りなす 波が呼ぶ

夕日が沈む 高倉の里

疲れ果てた一人の行者姿の旅人が高倉の里に現れました。
峠の宮のお寺から暮れの鐘が静かに響いてきます。
塩浜で働いていた一人の里人が手を休めて夕日を拝んでいます。

そこへ、足を止めた行者姿の旅人が塩浜の人に尋ねました。

『私は都に住んでいる百合若と申す者です。実は文箱をつけた鷹を探しているのです。心当たりはないでしょうか。』と

そうすると里の人は答えました。
『その日もやはり今日のように夕日が赤々と海を染めていました。私が西の山に沈もうとする夕日を拝んでいると、一羽の見慣れない鷹が向こうの天狗山のてっぺんを苦しそうに飛んでいるのです。ニ、三回廻ったかと思うと、今度はあの向こうに見える弁天島へよろめきながら飛び去っていきました。』

『その晩は、何となく胸騒ぎがしてよく眠れませんでしたので、夜の明けるのを待って島に行ってみました。そうすると波打ち際の清水が湧いている池に、半分身体をつけたまま冷たくなっている鷹を見つけました。その鷹は確かに赤い紐のついた文箱をつけておりました。あまりに可哀想なので、あの向浜の松林に埋めてやりました。』

その話を聞いて、すぐに百合若は松林へ行きました。
そこには一つの小さな墓印ができておりました。
可哀相に思った百合若は、その墓を上日寺に移し村人達にそのお守りを頼みました。

それから後、毎年十月二十八日にお寺で鷹供養が営まれるようになり、今でもその供養が続いています。



と、まぁこんな話なんですが、皆さんいかがでしたか?
なにげない、どこにでもありそうな島にもこんな伝説が残ってるのかと思うと感慨深いですよね。
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by noto-tourism | 2004-05-04 14:05 | 能登の観光情報(能都町)