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by noto-tourism

宝暦杉/史跡

先に言い訳しておきます。
ホントは杉を見に行ったんじゃなくて、近くにある別の某史跡のために車を走らせたんですが、近所のご老人やお寺さんまで“某史跡”の存在を知らないという不覚の事態に陥り、やむなくこの宝暦杉を掲載することになりました。

ま、杉は杉で立派なものだし、奥能登の大木一覧を集めて“奥能登の大木”ってカテゴリを作ってもいいかなぁなんて考えてはいたんで構わないんですが・・・。

前置きが長くなりましたが、今日は能登町 旧・柳田村地区の五郎左エ門分にある“宝暦杉”の紹介です。

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一見すると普通の大木ですが、この杉は旧・柳田村地区の史跡に指定されています。
それはなぜか?こんな悲しいお話が伝えられているからなんです。


宝暦6年(1758)7月
このところ連年の凶作が続き、また時期を同じくして“仮銀札発行”などを動機に蜂起した村民約1,000人が、支配10村を襲撃。

※『宝暦の銀札くずれ』
藩財政は苦しく、加えて藩主が三代も続き若死にしたため、失費もかさみ宝暦5(1755)年に銀札と称する藩札を発行。ところが一層物価高騰をきたし、市中には餓死者が充満し、その翌年、打ちこわしや百姓一揆が起こり、銀札発行を廃止する。
-参考:「利家とまつ」ゆかりの人物-

更に事後処理進行中の宝暦8年には組下村々の年貢不足800石が摘発され、寺分地区の“勘十郎”、五郎左エ門分の“太郎次郎”、そして十郎原地区の“藤次郎”が入牢。そのまま獄中で亡くなってしまいました。

この“宝暦杉”は“勘十郎”と“太郎次郎”が入牢の際に植え残したものだと伝えられているのです。



・・・、苦しい時代です。
作物は凶作で、しかも物価は高騰。この年貢を払ったら自分たちは死ぬしかないのに・・・。

川のほとりに杉の苗木を植え付けた二人は、どうゆう心境だったんでしょうか。
きっと悔しくて苦しくて涙がこぼれて・・・、家族や恋人もきっといたんでしょうに。
でも村民のために行動を起こして晴れ晴れとした気持ちもあったのかな。

今もこの“宝暦杉”の前には“宝暦義民の碑”が残され、花が手向けられています。合掌
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by noto-tourism | 2005-03-09 14:58 | 能登の観光情報(柳田村)