能登の旬な情報をお届けします。


by noto-tourism

木漏れ日に包まれて森林浴/神和住城跡

 能登空港から珠洲道路を通って珠洲方面へ10分ほど走ると柳田村神和住地区というところを通るんですが、ここに最近真新しい看板が立っているのに気がつきました。

 看板はどうやら、ここに昔あった城跡の案内が書いてある様子。ちょっと寄ってみようかと衝動に駆られたんですが思い出すのは末次城の恐怖!今日もやっぱり革靴です・・・。

 泥だらけになるのは仕方ない、腹をくくって看板を頼りに城跡がある山に登ってみることにしました。
 入り口は真念寺の境内、寺の釣鐘の周りに興味深い狛犬の彫刻が施されていたんですが、今回は無視。そのまま境内を横切り、隣の火之宮神社の敷地に入ります。ちなみに火之宮神社の狛犬もごくありふれた新しいタイプのものだったのでこちらも無視。そのまま神社脇の小径に足を進めます。

 先日の雨のせいか地質のせいか足元はかなりぬかるんでいましたが、もう覚悟は決めちゃったので落ち葉に埋もれた遊歩道(獣道?)をどんどん進んでいきます。そして登ること3分、ひとまず中腹の広場に出ました。
a0017012_11444383.jpg

 地元の方の手製でしょうか、木製のベンチが落ち葉のじゅうたんのなかで木漏れ日を浴びています。コーヒーセットを持ってくれば、とちょっと後悔しつつもそこに立つ看板に目を向けると、この城跡の云われが記してありました。

++++++++++++++++++++++++++++
神和住城跡
神和住城跡は、奥能登の中心に位置する斉和地区に残されている山城跡である。城跡は、集落背後の天高山に残されており、ゴボジ(御坊地)と称する標高181mの丘陵上に中心遺構が認められている。

城跡の範囲は、南北400m、東西250mで、北方の独立丘陵や滝ケ原と称する箇所に砦跡が残されている。

大手となるのは、火宮神社側からで、大きく開いた谷部の小径を辿り、堀切底を利用した坂虎口(大手)を登り場内へと進入する。

城内には集落側に主曲輪を配し、物見の役割を果たしている。主曲輪の先端中腹部分には、連続竪堀(畝状空堀)が築かれており、県下でも数少ない遺構を持つ山城跡である。
主曲輪から西側に進むと土塁に囲まれた一画があり、“屋敷跡”と称している。

また、連続して丘陵頂上部をくり抜いた曲輪遺構が残されている。

情趣についての伝承は伝えられていないが、城跡の規模などから地域の領主の城と想定する。特に柳田地域は名体制が長く続いていたことから、各地に名主を伝える字地が残されている。

斉和地区の名主としては、戦国時代の永禄2年(1559)に、この地の土豪であった山本太郎右衛門が、真念寺を小間生から神和住に呼請し創建したと伝えていることからも、山本氏がこの地の名主であり、この神和住城跡の旗頭であったと推定される。
江戸時代初期には、山本氏が加賀藩の上町野組十村組頭肝煎り(後の十村役)を勤めている。
++++++++++++++++++++++++++++


 主曲輪だとか遺構だとか、あまり聞かない言葉が並んでいますが、さっき真念寺を通ったときにその横手に見えた民家、山本さんの先祖の城かもしれないってことですよね?

 しばらく看板の前で考え込んだあと、その先に続く遊歩道を進んでみることにしました。相変わらず遊歩道(やっぱ獣道かも?)は黄色と赤のじゅうたんで覆われていますが、先ほどのぬかるみはなく、快適にウォーキングを楽しむことができました。

 所々に物見台やら屋敷跡などの小さな看板が立ち、いつしか山道を歩くこと自体が楽しくなってきた私、ここでハッ!と気付きました。もしや城跡かどうかなんてたいした問題じゃなく、こうやって山歩きを楽しんでもらう為にこの地を整備し幹線道路に新しい看板を立てたんじゃないか?と。いや真意はわかりませんが・・・。とりあえず軽装でも楽しめるのは私が実証済みですから、ドライブでここの通る方がふらっと立ち寄り木漏れ日を浴びながら森林浴、ウォーキングを楽しむことができる素敵な場所だと感じました。

 紅葉の季節もあと少し。今週末はドライブのついでに神和住城跡に寄ってみませんか?
a0017012_1222514.jpg

[PR]
by noto-tourism | 2004-11-18 12:08 | 能登の観光情報(柳田村)