七見いづがま古墳
2004年 09月 25日
10月3日にオープンを控えた能登七見健康福祉の郷なごみでは、明日の落成式典に向けて準備が進められています。
明日、午前11時に開式し、来賓の挨拶や工事経過報告などのあと、この式典の目玉であるシンクロナイズドスイミングが披露されます。オリンピックやウォーターボーイズなどで注目を集めているシンクロ競技ですが、明日演技を披露してくださるのは看護専門学生の五十嵐千里さん。平成12・13年の国体出場選手であり、全国ジュニアオリンピックなどの全国大会で入賞もしている石川県トップレベルの選手です。また現在も現役選手でありながら金沢スイミングクラブにて後輩の指導にあたるなど活躍を見せています。
シンクロのほかにも模範泳法の披露や地元の子供たちによる獅子舞の演舞なども催される予定です。
さて、今日ご紹介する七見いづがま古墳ですが、ちょうど能登七見健康福祉の郷なごみの裏手、水田の中にひっそりとたたずんでいます。
七見いづがま古墳は、かなり以前から七見台地の水田中に石室を露出しており、地元では『さわらずの石』としてタブーが守られてきました。
昭和43年(1968)12月19日に調査され、横穴式石室であることが確認されましたが、これは現在知り得る能都町唯一の古墳であり、昭和50年(1975)12月25日、町指定文化財に認定されました。
七見台地は昭和11年(1936)に耕地整理が実施され、殆どが水田化しています。そのため古墳の墳丘も全くといっていいほど原形をとどめておらず、石室だけが露出した状態になっています。実際の大きさは直径40m前後の古墳という頃ですが、今はその見る影もありません。
横穴式石室の構造は、主として通路である羨道と遺体を納める玄室からなっていますが、この古墳はすでに羨道を失い、玄室と天井石の一部がかろうじて残っています。
さて、古墳(昔の人のお墓)ですから、もちろん埋蔵品も多数埋まっていただろうと思いますが、当時の調査資料を見ると、その殆どが盗掘された跡だったようで、発見されたのは須恵器、土師器、製塩土器、越前焼、鉄製品などだったようです。
ちなみにこの「いづかま」という名称ですが、なんの伝承も無くなぜこのような呼称になったかは不明ですが、古墳に鍋や釜の伝説などが付会されている例もあること、地中に露出したその形状から『出つ釜』と呼ばれたのかもしれませんね。
6世紀末~7世紀前半のものと思われるこの古墳の被葬者は、漁民のみならず製塩集団をも抱括した農業共同体の有力家父長層であったと考えられていますが、石室の規模からして能登の中枢的政治勢力と密接な関連があったことは想像に難くありません。
明日の式典のついでにでも是非ご覧になってください。田んぼの真ん中にこんなものが!?って感じで結構面白いですよ。
ちなみに明日は藤波台運動公園にてグラウンドゴルフ大会も開かれます。天気は微妙な予報ですが準備は万端!テントを建てる職員の方々の傍らで練習に励む明日の参加者たちの姿も見受けられました。
明日、午前11時に開式し、来賓の挨拶や工事経過報告などのあと、この式典の目玉であるシンクロナイズドスイミングが披露されます。オリンピックやウォーターボーイズなどで注目を集めているシンクロ競技ですが、明日演技を披露してくださるのは看護専門学生の五十嵐千里さん。平成12・13年の国体出場選手であり、全国ジュニアオリンピックなどの全国大会で入賞もしている石川県トップレベルの選手です。また現在も現役選手でありながら金沢スイミングクラブにて後輩の指導にあたるなど活躍を見せています。
シンクロのほかにも模範泳法の披露や地元の子供たちによる獅子舞の演舞なども催される予定です。
さて、今日ご紹介する七見いづがま古墳ですが、ちょうど能登七見健康福祉の郷なごみの裏手、水田の中にひっそりとたたずんでいます。
七見いづがま古墳は、かなり以前から七見台地の水田中に石室を露出しており、地元では『さわらずの石』としてタブーが守られてきました。
昭和43年(1968)12月19日に調査され、横穴式石室であることが確認されましたが、これは現在知り得る能都町唯一の古墳であり、昭和50年(1975)12月25日、町指定文化財に認定されました。
七見台地は昭和11年(1936)に耕地整理が実施され、殆どが水田化しています。そのため古墳の墳丘も全くといっていいほど原形をとどめておらず、石室だけが露出した状態になっています。実際の大きさは直径40m前後の古墳という頃ですが、今はその見る影もありません。
横穴式石室の構造は、主として通路である羨道と遺体を納める玄室からなっていますが、この古墳はすでに羨道を失い、玄室と天井石の一部がかろうじて残っています。
さて、古墳(昔の人のお墓)ですから、もちろん埋蔵品も多数埋まっていただろうと思いますが、当時の調査資料を見ると、その殆どが盗掘された跡だったようで、発見されたのは須恵器、土師器、製塩土器、越前焼、鉄製品などだったようです。
ちなみにこの「いづかま」という名称ですが、なんの伝承も無くなぜこのような呼称になったかは不明ですが、古墳に鍋や釜の伝説などが付会されている例もあること、地中に露出したその形状から『出つ釜』と呼ばれたのかもしれませんね。
6世紀末~7世紀前半のものと思われるこの古墳の被葬者は、漁民のみならず製塩集団をも抱括した農業共同体の有力家父長層であったと考えられていますが、石室の規模からして能登の中枢的政治勢力と密接な関連があったことは想像に難くありません。
明日の式典のついでにでも是非ご覧になってください。田んぼの真ん中にこんなものが!?って感じで結構面白いですよ。
ちなみに明日は藤波台運動公園にてグラウンドゴルフ大会も開かれます。天気は微妙な予報ですが準備は万端!テントを建てる職員の方々の傍らで練習に励む明日の参加者たちの姿も見受けられました。
by noto-tourism
| 2004-09-25 16:02
| 能登の観光情報(能都町)